歴史・文化財

歴史と伝統が息づく、御薗宇ゆかりの地

古くは、源三位入道頼政の室、菖蒲の前は頼政の念持仏一寸八分 御本尊の御胸に納め奉り、一宇を建立して勝谷山観現寺と名付けた。


建久二年、後鳥羽天皇の御代に源氏の世となり、賀茂一群を菖蒲の前に賜われた。菖蒲の前は深く喜ばれ、我が薗よと言う意味で 下原村を御薗宇と改名した。

頼政の家臣、猪野隼太は勝谷右京と名を改め観現寺を守り、建保四年七月八日八十四歳当地にて寂す。

観現寺裏山に猪野隼太の宝篋印塔(東広島市指定文化財)を祭る。

勝谷右京の子息、彦太郎は水戸新四郎の息女、薗菊姫と結ばれ子孫永く伝わる。

当山も東広島と共に御本尊聖観世音菩薩の御威光に依り繁栄しつつある。

歴史を今に伝える観現寺の寺宝

御厨子(室町時代の県重要文化財)

房子とは仏像や経巻を安置してあるものです。

この厨子は15世紀のものと言われ、古式豊かな建築様式から平成4年10月に県の重要文化財に指定されています。

厨子の上には如意頭という飾りもあり、中世の建築が数少ない安芸国(広島県西部)では貴重な文化財です。

 
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